宿











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覇王樹茶屋
「さぼてん茶屋」と読む。
この時代からサボテンが日本にあったとは驚きである。
 
弘化2年(1845)の立斎による「江の島紀行」より
「川崎の宿を立出、市場を過、橋を渡りて鶴見村の入口、小き茶屋に休。庭に大なるさぼてん五株有、高さ七八尺、幹は木に成て枝数多く茂りて莟あり。五月中黄なる花を開くと云。今迄は草の数を思ひしに、是を見て覇王樹といへるも、ことはりなることを覚へぬ。あるじの婆々に幾年ほど過ぬととへば五十年余に成ぬと云」。
例えばこんなサボテンが店先に5株もあれば、物珍しさも手伝い「さぼてん茶屋」は流行っていたに違いない。
しかしサボテンは50年も生き続けるとは知らなかった。
石碑には..
「旧東海道鶴見 覇王樹茶屋跡
   みぎひだり   つのを出して世の中を   見たるもおかし   さぼてんの茶屋」

とあった。
まさしく「見たるもおかし」である。