今も利用の千貫樋


水の豊富な伊豆の国から国境いの低い土地の境川の上を通る灌漑用水樋をつくり、駿河国に水を送ったのが千貫樋である。


架設は応仁(1467〜1469)のころといわれており、天文24年(1555)の今川、武田、北条の三国同盟の時、復旧された。

その後、関東大震災で木樋が破壊されたためコンクリート製に変わったが、延長42,7m、高さ4,2mの架橋の上の用水樋は今も立派に使われている。
しかし水が少なくなり、灌漑の農業用水に利用されていたのは昭和50年代中頃までであった。


千貫樋の名称は、
1、架橋が巧みで千貫に値する。
2、千貫の田地を潤している。
3、樋の建設費が千貫だった。
などがあるが定かでない。
その中で、千貫樋の名称の由来については、この用水により灌漑された水田の収穫高が江戸時代の石高で1300石(貫高で1000貫)となるので、つけられたという2項の説が有力である。