面影消えた沼津城

沼津宿の中心は、今の本町、下本町付近だが、なにも残っていない。残っていないのは沼津城も同じである。

天正五年(1577)、武田勝頼は東の北条・西の徳川の備えのため三枚橋城をつくった。しかし戦いに敗れ三枚橋城は徳川家康の手に落ちた。

本丸跡の中央公園

江戸の幕府成立後廃城となっていたが、安永六年(1777)水野忠友が築城した。しかし城の規模は三枚橋城の約三分の一で質素なつくりという。
明治維新後、駿府に移封された徳川家は、ここに兵学校を立てたが、明治10年(1872)東京に引き上げ廃止された。
本丸跡、土台は石垣の石



その後、静岡県は城跡を競売し民間に払い下げた。



また東海道線の線路と駅舎が城内を二つに分断するなど沼津城の面影はほとんどない。





繁華街の下に今も眠る沼津城、わずか百数十年で面影は消えてしまった。