宿場の窮状を幕府に直訴

日坂宿は小さな宿場町で旧街道沿いは格子戸の家など昔ながらの静かなたたずまいである。

日坂の町並み


江戸時代は人口700余人の内300人ほどの男達が荷物運搬の人足だった。

しかし大名行列の往来が激しくなり仕事が増加しても、人々の生計は楽にならなかった。
大名は人足の手当金をすぐに支払ってくれない。郷土史家の調査では一番早く支払わってくれたのは薩摩の殿様で、それでも3年後のことという。

本陣扇屋の跡


この窮状を見かねて、本陣二代目片岡清兵衛は江戸に上り幕府に直訴した。当時幕府に直訴することは死罪に等しかった。それでも清兵衛は宿場を救うために出かけたのである。

慶長18年(1813)清兵衛は、獄門の露と消えた。しかし清兵衛の直願は実り、その後毎年516俵の手当て米が日坂宿に支給された。今も人々は片岡清兵衛を「五百十六俵様」と呼び偉人として崇めている。