夜泣き石異聞

夜泣き石の数奇な流転の話である。

明治元年、明治天皇の上洛の時、道の真中にある夜泣き石が邪魔になった。
江戸時代、夜泣き石伝説で有名になった久延寺は、境内に石を引き取り観光資源にしようと村の有力者2人から融資250円を受け、それを村に支払った。

久延寺


明治13年東京浅草で勧業博覧会が開かれ。寺では夜泣き石を見せ物にしようと重さ900キロ、高さ60センチの石を荷車に乗せ山を下り、大井川からは船で会場まで運んだ。

ところがその前に、東京の興行師が張子の夜泣き石をつくり、中に赤ん坊を入れて「これぞ、かの有名な小夜の中山の夜泣き石」と石をたたけば赤ん坊が泣き出す仕掛けを作った。
この興行は大当たりしたというが、本物が着いた時は既に遅く、また石は泣かないので苦労も水の泡、帰りは焼津・和田港までで資金が底をついたという。

小泉屋裏手の夜泣き石


そこで、村の有力者2人は半年後、港にあった石を取り戻し、現在の国道「小夜の中山トンネル」東口の食堂・土産店「小泉屋」の裏手に置いた。

小泉屋


やがて昭和11年、東京・銀座の松坂屋で開かれた静岡物産展に出展したところ大評判になり会場はごったかえしたという。
翌年夜泣き石の所有権をめぐって久延寺と小泉屋の間で裁判沙汰となり久延寺側は敗訴した。

久延寺は、名刹で慶長五年(1600)に徳川家康が江戸に下る時、掛川城主の山内一豊が茶亭を建て家康をもてなしたという寺である。

久延寺の夜泣き石


現在は、静かな峠道の寺であるが、境内には「夜泣き石」が置いてあり伝説を今に伝えている。
地質の研究者によれば、大きな丸い石は、稀に産出するという。