箱根宿:その1「弥次の買い物問答」

 ここの湯本(箱根)の宿というのは、両側の家作りがきらびやかで、どこの家にも美目よい女が二、三人づついて、店先に出て名物の箱根細工の引き物を商っている。
喜多八は一軒一軒のぞいてみて、
喜多「オヤオヤ洗い粉の看板を見るような、顔と手先ばかり白い女がいらァ」
弥次「なんぞ買おうか」
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ふたり道中 山紀行〜鎌倉古道 湯坂道を歩く〜

娘「はいはい、お煙草入れでおざりやんす」
弥次「コレコレこのことさ。時にいくらだ」
娘「ハイ三百文でおざりやんす」
弥次「百ばかりにしなせえ」
娘「おまいさんもあんまりな。あなた方のおかげで、かように商いしておりますものを、高い掛け値は申しゃんせぬ」と、弥次郎をじろりと見る。

弥次郎たちまち女に甘くなって、
弥次「そんなら二百よ」
娘「もうちっとお召しなすって下さいやせ。オホヽヽヽヽヽ」
と、根っからおかしくもないことを笑って、弥次郎の顔をまたじろりと見る。
弥次「そんなら三百、三百」
娘「もうそっとでござりやんす。オホヽヽヽヽヽ」

弥次「めんどうな、四百、四百」
と、四百文のさし銭一本を放り出して買い取り、(四文の波銭百枚を銭さしの縄一本に插した緡銭)
弥次「喜多八、さァ行こう」
娘「ようおい出なさいやんした」
喜多「ハヽヽヽヽヽ、三百のものを四百に買うとは、新しい、新しい」
弥次「それでも惜しくもねえ。あの娘は、よっぽどおれに気があったとみえる」
喜多「おきゃァがれ。ハヽヽヽヽヽ」
弥次「それでも、初手から、おれの顔ばかり見ていたわ」
喜多「見ていたはずだ。あの娘の目を見たか。やぶにらみだ、ハヽヽヽヽヽ」

箱根宿:その2「賽の河原で一句」
弥次「賽の河原へきたぞ、きたぞ」

 お茶漬けの賽のかはらの辻堂に 煮しめたような形の坊さま
  (お茶漬の煮しめの菜、賽、煮しめたような汚い衣の坊さん、みな縁語の語呂合わせ)

 それよりお関所を打ち過ぎて
  春風の手形をあけて君が代の 戸ざさぬ関を越ゆるめでたさ
   (手形は関所の通行手形、戸ざさぬは閉ざさないの意味だが、国中がよく治まって盗人になるものもなく、家々は戸締まりをせずとも平和であると言う聖人の世と同じく、この世も泰平でめでたい)



箱根宿:その3「甘酒と馬子唄」

甘酒売りの親仁「名物あがらっしゃいませ。甘酒飲ましやいませ」
喜多「弥次さん、ちっと休みやしょう。オイ、一杯くんな」
と、箱根峠の甘酒茶屋の床机に腰をかければ、親仁は一杯づつくんで出す。

喜多「こいつは黒い黒い」
弥次「黒いようで甘いは、遠州浜松じゃないかいな」
 (雲助唄に、遠州浜松広いようで狭い……とあるのをもじった)

喜多「オイオイ、いくらだえ。サァお世話さま」と、喜多八は銭をはらって店を出ていく。

向こうから来る小荷駄馬はひきもきらず、鈴の音シャンシャンシャン。

 
馬子の唄
  ♪富士のあたまが つん燃える
  ♪なじょにけぶりが つん燃える
  ♪三島女郎衆に がらら打ち込み
  ♪こがれおじやったら つん燃えたァ
  ♪しょんがえ ドウ ドウ
  (がらら打ち込み…すっかり惚れ込み)

箱根宿:その4「雲助のやりとり」

 こうして山中と言う立て場に着く。ここは道の両側に茶屋が軒をならべて、
 (立場…建場とも書く。杖を立てて休む場所の意味で、宿と宿の間に適当な間隔で作られている。幕府や、諸大名の公用の伝馬の継立所で、茶屋などもあって、庶民の旅人も休憩できる)

弥次「喜多八、ちっと休んで行こう」
 と、茶店へ入る。この家の庭に築立てたかまどの前に、雲助どもがごろごろしている。
布団をまいた者もあり、つないだ渋紙やあるいは寝ござをまとった者、赤合羽を着た者など、寄り集まって火にあたっている。
 (雲助は駕篭かきなどの街道の交通労働者だが、一年中ほとんどふんどし一本の裸で暮らしているので、雲助のことを裸虫などという。それが乞食のようなものをまとっているのが珍しいのである。渋紙は和紙に柿渋を塗ったもの、赤合羽は赤い油紙の合羽。どちらも濡れても破れにくいので乞食などが雨具にする)

煙管の雲助「手におえねえひょうたくれの馬鹿野郎め。赤熊やどぶ八めが、峠まで長持で客をのせてやったあな」
別の雲助「いいわ。そのかわりにあび手があんどんにげんこはふんだくるべい」
 (雲助仲間の符丁で、長持とは六百文、あび手とは酒手のこと、あんどんは四十文、げんこは五十文のことである。)

いま一人の雲助「コレ、そりゃァいいが、コノ野郎のお洒落ぶりを見ろやい。しっかり紋付きを着ゃァがった」
酒樽の菰を着ている雲助「昨日小田原の甲州屋で、えんやらやっとのことで筵を一枚もらって着たが、あんまり裾が長くて、お医者さまのようだと言うてけつかる」
 (酒樽を巻いた筵には、醸造元の紋が大きく刷り込んであるので、紋付きの着物に見たてた。また、医者の長合羽といって、裾の長い合羽が医者の目印)

丸裸の雲助「野郎めらァ工面がいいから、好きな物を着やがる。おらァここんところずっと裸でいりゃァ、ガラガラとうるせえがら吉婆ァめがぬかすにゃァ、古傘をやろうから、傘の破れきれを引っぺ返して着ろと言うてけつかる。
べらぼうめ、野郎の猪じゃァあるめえし。そんなもんが着られるもんかと言ったら、すんならこれを着ろと言って、いい筵を一枚うっ呉れたと思え。
その筵を昨日の晩げに、畑で湯につっ入るとって、ひん脱いでおいたら、聞きやれ、大事の着物をみんな馬に食われてししまったァ、いまいましい」

 (工面がいい…やりくり上手、金もうけがうまい)
 (野郎の猪…芝居で傘をすぼめて強い雨風に逆らっている格好を雨の中の猪に見立てた。野郎は役者のこと)
 (畑…箱根山中の温泉)