1999年5月13日(木曜)に丹沢山塊の大山に登る。

湘南平からみた大山

天候は晴れ、静岡自宅を午前6時頃出発、東名清水ICから東名に入り足柄SAで朝食をとる。
東名松田で出て国道246号に入り名古木(ながぬき)で左折して県道70号で菜の花台まで登る。
菜の花台の展望台からはすぐ目の前に三ノ塔がその後ろに丹沢連峰が眺められました。
菜の花台からヤビツ峠はすぐでした。
ヤビツ峠の駐車場にマイカーを置くとヤビツ峠バス停のところが登り口です。

ヤビツ峠の標高は760m、出発は午前9時21分、木曜なのに登山者が多いのには驚きました。
巨大都市の東京・横浜が近いことをひしひしと実感しました。
ヤビツ峠のヤビツ山荘の横を通り少し登ってだらだら下るとイタツミ尾根になります。
所謂昔の裏参道での大山登山です。

登山道の路傍にはタチツボスミレが沢山見られました。
登山道の横には鹿よけの金網がはってありました。
1時間20分ほどゆっくり登ると表参道と合流しました。
合流点には二十五丁目の丁目石が立っていて10分ほどで頂上です。
丁目石は下社が一丁目で頂上の本社が二十八丁目とのことです。

頂上到着は午後11時でした。
大山は標高1252mで丹沢大山国定公園に属し古くから人々の信仰を集めた霊山です。
頂上は見晴らしがよく神奈川の景勝50選に選ばれています。
空気の澄んだよく晴れた日には南に相模平野・江ノ島・相模湾、東に東京の新宿高層ビル、北に塔ノ岳(とうのだけ)など丹沢山塊の山々、西に富士山が眺められます。

当日は生憎で東方と南方は雲の中で殆ど見えませんでした。
しかし北方に塔ノ岳・丹沢山と西方に三ノ塔と富士山が見られました。
頂上で昼食をとっていると野生の鹿が現れキーンキーンと鳴いて餌をおねだりしました。
心無い登山者が餌をあげてしまうからとのことです。

下山開始午後11時34分、ヤビツ峠着午後1時。
帰りは東名に秦野中井ICで入り、清水ICで出て、自宅到着は午後3時半ごろでした。

大山の野生の鹿

大山詣でのお話

大山山頂の阿夫利神社(あふりじんじゃ)に大山講社の人々が集団で参詣したことを大山詣で(おおやまもうで)あるいは大山参り(おおやままいり)といい江戸中期に最も盛んでした。
大山寺は石尊大権現(せきそんだいごんげん)ともいわれたので石尊参り(せきそんまいり)ともいいました。

広重東海道五十三次の平塚の版画(保永堂版と行書版)で富士山の右側の山が大山です。
江戸時代は修験道の大山寺(おおやまでら)を中心に賑わいました。
大山寺門前には徳川家康の命で山を下りた山伏が大山講の御師(おし)となって沢山の宿坊を作りました。
御師は先導師ともいわれ現在追分付近には先導師旅館がルーツの旅館が多数あります。

頂上には阿夫利神社奥社、山麓には阿夫利神社下社(あふりじんじゃしもしゃ)があります。
神社の祭神はイザナギノミコトとイザナミノミコトの子でコノハナノサクヤヒメの父の大山祇神(おおやまつみのかみ)です。
阿夫利神社下社からの参道を表参道、蓑毛(みのげ)からヤビツ峠経由でイタツミ尾根を登る参道を裏参道といいます。

相州大山は阿夫利山(あふりさん)あるいは雨降山(あふりさん)ともいい農民から雨乞いの神として信仰されました。
相模灘の海上からは航行の標識で海上生活者から海上安全の神としても信仰されました。

大山頂上の阿夫利神社奥の院にて


大山の歴史は古く755年(天平勝宝7年)に華厳宗の祖である東大寺別当の良弁(ろうべん)によって開山されのちに真言密教の修験道場となりました。
丹沢には仏果山(ぶっかやま)、行者岳(ぎょうじゃだけ)、塔ノ岳(とうのだけ)など仏教にちなんだ山名が多く残っています。

武家政治の時代には将軍達は開運の神として武運長久を祈りました。
「時により すぐれば民の なげきなり 八大竜王 雨やめたまえ」は鎌倉三代将軍の実朝が大山の山神に献じた歌と言われています。

明治初期の神仏分離により大山寺が廃止されて阿夫利神社下社となり女坂の途中に移転され大山不動尊として残っています。
大山不動尊は関東三大不動として有名です。