ここを出てまもなく、大井川の手前の島田の宿に着いた。川越し人足どもが出迎えて、
川越し人足「旦那衆、川ァ頼んます」
弥次「きさま川越しか。二人いくらで越す」
人足「ハイ今朝がけに川留めが明いた川なんで、肩車じゃ危ない。蓮台でやらずに。
お二人で八百文くださいませ」
(蓮台でやらずに…駿河方言で蓮台でやりましょうの意味)
弥次「とほうもねえ。越後新潟じやあんめえし、八百よこせもすさまじい」
(越後新潟の遊女を俗に八百八後家というのに引っかけた駄洒落)

大井川川越遺跡の番屋

弥次「ナント喜多八、あいつらにからかうのが面倒だから、いっそのこと問屋へかかって越そう。てめえの脇差を貸しやれ」
(大井川には、島田宿と対岸の金谷宿に川越しを管理する川会所と問屋がある。川越しの業務は川会所の指図で行うが、問屋は川越しの料金を決めて客に支払わせ、人足を雇い集めて賃金を払うなどの営業をする。
川を越したい旅人は、渡し賃が公定価格の問屋に申し込むか、あるいは人足に直接にかけ合って、渡し賃を相対で決めるかの二つの場合がある。武家は問屋渡しが原則になっていた)

喜多「脇差を貸せ。なぜ、どうする」
弥次「侍になるわ」

と、喜多八の脇差をとって腰に差し、自分の脇差の蟇肌(ひきはだ)を後のほうに長く伸ばして、大小二本差しているように見せかけて、
 (蟇肌(ひきはだ)・・皮の鞘袋、表面が蟇蛙の皮膚に似た特殊な加工をした皮で作る)

弥次「ナント出来合いのお侍よく似合ったろう。この風呂敷包を、手めえ一緒に供になってきや」
事多「こいつは大笑いだ。ハ、、、、、」
と、やがて川問屋にいたり、弥次郎兵衝は侍のお国ことばの声色で、
弥次「コンリヤ問屋ども、身ども大切な主用でまかり通る。川越し人足を頼むぞ」
問屋「ハイかしこまりました。御同勢はおいくたり」
弥次「ナニ同勢な」
「ハイハイ、その都岡勢はどこにおります」

弥次「イヤサ、江戸表出立の節は、残らず召し連れたが、途中でおいおい麻疹にかかって、宿々に残しおいた。そこでただ今、川を越そうと言う同勢は、上下合わせてたった二人じゃ。蓮台越しにいたそう。価はなんぼじや」
(麻疹…一九がこれを執筆していた享和三年に、この病気が流行して死者が多かった)
「ハイ。お二人なら、蓮台で四百八十文でござります」
「それは高値じや。ちとまけやれ」」


すると、突然問屋の男の言葉が乱暴になり、
問屋「エ、この川の賃銭にまけるというはないやァ。馬鹿ァいわずと、早く行くがよからずに」

弥次「イヤ侍に向かって馬鹿ァ言うなとはなんじゃ」

問屋「ハ、、、、えらいひでえお侍だやァ」
弥次「こいつ武士を嘲弄しおる。ふとどき千万な」

問屋「こなた武士か。刀のこじりを見さっしやい」

と、言われて弥次郎兵衛は、振りかえって後を見れば、刀のこじりが柱につかえて、
伸ばした蟇肌ばかりのところが二つに折れている。
みなみなどっと笑い出せば、さすがの弥次郎兵衛も面目なくて、しよげかえって、だんまりをきめるじ。
弥次「ツイやりぞこなった。いまいましい。ハ、、、、、」

「出来合いのなまくら武士のしるしとて 刀の先の折れてはずかし」


この狂歌に、問屋の者たちも感心、双方大笑いとなる。

秋の日は、つるべ落し 私たちも大井川を渡ります