それより萱場、薬師新田を過ぎて、鳥居松が近くなったころ、浜松宿の宿引きが出迎えて、
宿引き「モシあなたがたァお泊りなら、お宿をお願い申します」
喜多「女のいいのがあるなら泊りやしょう」
宿引き「ずいぶんおざります」
弥次「泊まるから飯も食わせるか」
宿引さ「あげませいで」
喜多「コレ菜は何を食わせる」
宿引き「ハイ当所の名物自然藷でもあげましょう」

宿引き「それに椎茸、慈姑のようなものをあしらいまして」
喜多「汁が豆腐に蒟蒻の白和えか」

宿引き「ハヽヽヽヽヽ。時にもうまいりました」
弥次「オヤもう浜松か。思いのほか早く来たわえ」

 さっさっと歩むにつれて旅ごろも 吹きつけられし浜松の風
 (松風の音の颯、颯と、さっさと歩くとにかけている。風に吹き送られて早く着いた意味も含む)
       
       

宿に入った二人は、やがて床に入るが
 
幽霊の話を聞いて、まんじりともせず、あちこち寝返りを打つばかりで寝もやらず。

弥次「エヽいっそのこと、喜多八、今から立とうじゃねえか」
喜多「ナニとんだことを言う。今の話でこわくて、どう夜道が歩かれるもんか」
弥次「それにここの家は、なんだかだだっぴろいばかりで、人が少ないから、うすきみの悪い家だ」
 と、目ばかりぱちぱちしていると、鼠が天井を駆ける音が、からからから。
鼠「チゥチゥチゥ」

喜多「エヽ鼠までが馬鹿にしゃァがって、小便をしかけた」
弥次「そのネズミがうらやましい。おらァさっきから、小便をしたくてもこらえているに。ヤァなんだか柔らかなものが、足にさわった」
喜多「なんだ、なんだ」
猫「ニヤァン」
弥次「この畜生め、シッシッ」

百万遍の鉦「チャアン」
軒の雨垂れ「ぽたり、ぽたり」
 折りも折りと言うのに、遠くで、鉦や太鼓で迷子をたずねる淋しい声、
声「まよい子の長太やァい、チャヽヽチャン」

 二人とも生きた心地もなくて、夜着の内にもぐりこむ。喜多八は夜着の袖からそっとのぞいて、
喜多「どうだ、弥次さん、まだ生きているか」
弥次「なんまいだ、なんまいだ、アァ時に、困ったことがある。もう小便が漏るようだ」
喜多「お互い難儀な目にあった」

弥次「なんと思い切って一緒に小便に行こうか」
喜多「雨戸を開けてやらかすべい」
 と、二人は一緒にこわごわと起きて、そろそろと障子を開け、
喜多「サァ弥次さん」
弥次「イヤ手めえ先に」
喜多「なにが、幽霊なんぞ出るもんか」
 と強がりをいいながら、雨戸をさっと開けたところが、なにか庭のすみに白いものが、空中にふわふわ、喜多八キャッといってぶっ倒れる。

弥次「オヤどうした、どうした」
喜多「白いものが立っていらァ。そして腰から下が見えぬ」
弥次「ドレドレ」
 と、震えながら、こわいもの見たさに、雨戸の外をそっとのぞき、これもキャッといって、座敷へはいり込んで倒れる。


 と、この騒ぎに、お勝手から亭主が駆け出して来て、このありさまを見て、さまざまに介抱して、ようよう弥次郎が正気づけば、


亭主「ヤレどうなさいました」


喜多「イヤ小便に行ったところが、あそこになにか白いものがいたと。それでこの通り、臆病な人さ」



 亭主は縁先へ出てこれを見て、
亭主「イヤあれは襦袢でおざります。コリヤコリャ、おさんやい、おさんやい、日が暮れたに、干し物をなぜ取り込まぬ。
そしてさっきから雨がぼろついて来たに、らちもない女どもだ。しかしコリャァ、お気の毒さまでおざります」


弥次「エヽいまいましい、大いに胆を冷やした」
 と、ようように心が落ち着き、縁先へ出て見れば、なるほど女中が襦袢を取り込んでいる。

 はじめて笑いが戻って、心も落ち着いてとろとろと一睡の夢を結んだ。

ほどなく八声なく鶏の声が家毎に鳴き立てる勇ましさ。早出の馬の鈴の音、シャンシャン。