川崎音頭(伊勢音頭)に、伊勢の山田と唄われたのは、平安時代の源順(みなもとのしたがう)の和名抄という古辞書に陽田と書かれている地名から来たものか。

この町には十二の郷があり、人家は九千軒、甍(いらか)を連ねた商店は、いずれも質素ながらも、どっしりと落ち着いており、町の風俗も柔和で静まり、神の都の風格がおのづから備わっている。
なんといっても、日本国中からの伊勢参りの旅人の絶え間はなく、その繁盛はたとえようもない。

弥次郎兵衛と喜多八は、この宿の入り口に入る。両側の家ごとに、御師(おし)の名前と、用立所と大きく書かれた看板が、竹や葦が群がって生えるように並んでいる。

それに、羽織袴の侍姿の男たちが何人となく駆け歩いて、往来の旅人が御師の宿に行くのを出迎えているとみえる。

(この侍姿は実は町人で、御師の宿の手代たちである)

(御師…もともとは伊勢神宮の神職であるが、全国にある信者団体の伊勢講の世話役となって、毎年、各地の講中を回って、神宮の暦や御はらいを配って歩く。
また講中の伊勢参りの団体を案内して、伊勢の山田の自宅を旅篭宿として営業する。現代の観光業者の元祖といえる。)

その一人が弥次郎兵衛に近づいて
御師の手代「モシあなた方はいづれへお越しでござりますな」
弥次「知れた事。太神宮さまへ参りやす」


御師の手代「サァサァ二人とも、来さっし、来さっし」と、弥次郎も喜多八もわらじを脱いで、奥へ行く。
奥の部屋は、万事に派手な太々講のことだから、御師からの御馳走で、差しっ差されつ、飲めや唄えやの大騒ぎの最中。

また、店の表にいる一群れの駕篭が十四、五丁ばかり、こちらは別の上方の太々講と見えて、御師の手代が先に立って、
駕篭かき「ホウよいよい、えっこらさ、えっこらさ」と、にぎやかに、これも同じ茶屋に入る。

座敷での洒落や冗談もいろいろあるが、あまりくだくだしいので略す。

さて、二人は京の男、与太九郎と連れだって太神宮さまへお参りに行くが往来では、男乞食がささら(木に刻みを付け、擦って音を出す)を摺り摺り唄う。

ヤレ ふれ ふれ 五十鈴川
ふれや ふれや 千早ぶる
神のお庭の 朝清め

摺るや ささらの
えいさら えいさら えいさらさ
ソレ てんちゅうじゃ はりひじじゃ


(最後の句は〈殿中じゃ、張り肘じゃ)で、古いかぶき踊りのはやし言葉だといわれる)

唄いながら、遣てかんせ、遣てかんせと声をかけている。
喜多「ソリヤ遭てかんすぞ。しかも四文銭だ」
乞食「四文銭なら、釣りを三文下さんせ」

弥次「こいつ、虫のいいことをいう。時にこの橋は宇治橋というのか」
与太九郎「さよじゃ。アレ見さんせ。網で銭をよう受けてじゃ」
喜多「ドレドレ」
と、橋の上からのぞいて見ると、河原にいる乞食たちは、竹の棒の先に網をつけて、旅人の投げ銭を巧みに受け止めている。

与太九郎「弥次さん、小銭があれば、ちくと貸しさんせ」
と、弥次郎から小銭を借りて、さっさっと放り投げるが、下の乞食はみな網で受け止めて、一つも河原に落とさない。

与太九郎「えろう面白いな、よう受けくさる。もうちっと放ってこまそかい。
コレ喜多さん、おまえもちと貸さんせ。ソレ また放うるぞ、放うるぞ。
ハ、、、、、えらいえらい」

弥次「コレ京の人、与太どん、おめえ人の銭ばかり取って投げる。ちとおめえの銭も投げなせえ」
与太九郎「よいわいな。おまい方の銭じゃって、わしが銭じゃって、変わりやせんわいの」
弥次「それだとって、あんまりあたじけねえ、けちな野郎だ」

投げ銭を網に受けつつ往来の 人を茶にする 宇治橋のもと

(人を茶化す、ばかにする。宇治は京都の茶の名産地というこじつけ)

これから、内宮に参拝。一の鳥居から、四っ足の御門、猿頭の御門を過ぎて、御本社に額ずきたてまつる。これこそ天照皇太神で、神代よりの御神鏡、御神剣を取り伝え鎮座したもうところなり。

日にまして光照らそう宮柱 吹き入れたもう伊勢の神風

これから、朝日の宮、豊の宮から始めて、ほかの末社、すべて記すに暇もないほどである。
すべて、宮巡りのあいだは、自然に感涙が胆に銘じて、ありがたさに真面目になって、さすがに弥次郎も喜多八も、洒落も無駄口もいわず、しばらくして順拝を終わって、もとの道に戻って、御師宿に帰った。

ここで今まで連れ立っていた、与太九郎なる、ひょうきんな上方の男と別れを惜しんだ。

ここで私達も、ひとまず弥次郎と喜多八の「東海道中膝栗毛」を終りとする。