鈴鹿川の女人堤防

鈴鹿川と安楽川の合流するあたりを汲川原という。

合流点では、しばしば川の氾濫が起き人命が失われた。言い伝えによると村人たちは堤防を築くことを神戸藩に願い出たが、藩は堤防ができると対岸の城下町に浸水の恐れありとして許可しなかった。

鈴鹿川と安楽川の合流点


そこで人々は、処罰覚悟で工事に踏み切ったが村人の菊という女性が「工事にかかわった男たちは打ち首になり村は全滅する。私たち女だけで堤防をつくろう」と200人余の女性だけによる工事が始まった。

女人堤防の碑


6年後に堤防は完成したが、やがて藩主の知るところとなり首謀者の菊らは、あわや処刑される寸前、家老の松野清邦の嘆願により助命された。かえって、その志にたいし金一封が贈られたという。



現場にわずかに残る堤防の脇に「女人堤防の碑」(昭和33年建立)が立ち、今も昔も女人強しという秘話を伝えている。





鈴鹿市史によれば、この史料は乏しく、文政年間の築堤工事に女性の参加者が多数いたことがこのように伝えられたのではと述べている。